がんは人間の設計図とも言える遺伝子に間違いが生じて起こります。まだまだ未知の部分が残る小児がんを遺伝子解析して、将来の子どもや目の前の子どもの治療につなげます。※絵は自分で描いています。
人間は、小さな細胞が集まってできています。1つ1つの細胞が、人間1人分の設計図(1組の遺伝子)を持っています。その設計図は巨大で、文庫本4万冊ほどの分量です。
細胞はときどき2つに分裂して、成長したり、体の機能を維持したりしています。分裂するときに遺伝子を書き写して2組にするわけですが、そこでときどき間違えます(変異)。ほとんどの間違いは問題ないわけですが、まずい間違いをすると正常ではない細胞になったり、さらに間違えるとがん細胞になったりします。
つまり、がんは遺伝子の変異によって起こります。そこに起こる変異は、人によってさまざまです。変異を探すことでがんの性質がよく分かるわけですが、病院などで検査するのは遺伝子のごく一部の部分の、多くの人のがん細胞で間違いが生じるとわかっている場所だけです。
遺伝子を調べる技術は、大きく進歩しました。2003年には、世界中の研究室が協力して、5年かかってヒト1人分の遺伝子を全て調べました(ヒトゲノム計画)。様々な技術の進歩によって、2019年には、1つの研究室で何人分でも調べられます。
その結果、研究のスピードが昔とはまったく比べ物にならないほど早くなりました。また、昔はよくある病気が優先して調べられていたのが、小児がんのように非常に稀な病気でも調べられるようになりました。
たくさんの遺伝子を調べられるようになって、がんを治療するときにいいことがあります。
①遺伝子のどこに変異があるかを調べることで、がんの種類が分かります (正しい診断) 。大人のがんではあまり問題にならないのですが、子どものがんだと、どういう種類のがんかさえ分からなくて、正しい治療ができないことがあります。
②ある決まった遺伝子の変異を持っているがん細胞にだけよく効く、というタイプの薬があります(分子標的薬といいます)。そういう薬がたくさん開発されているので、遺伝子を調べれば調べるほど、そういう薬で治療できる可能性が増えます。
小児がんで一番多いタイプの病気は、急性リンパ性白血病という名前の白血病です。日本で年間500人に起こり、様々な遺伝子変異が原因で起こるのが特徴です。ふつうは、1種類のがんを起こす遺伝子変異は1~数種類です。
急性リンパ性白血病で見つかる遺伝子変異の中には、特別な薬がよく効くものもあります。一番有名なのはBCR-ABLと名付けられた遺伝子変異で、イマチニブという薬がよく効きます。BCR-ABLがある急性リンパ性白血病は、以前は80%の人が助からなかったのですが、この薬が登場して、80%の人が助かるようになりました。
急性リンパ性白血病の一部では、まだ原因となる遺伝子変異が見つかっていませんでした。そこで、私たちは、100人ほどの遺伝子をすべて調べることで、何か新しい遺伝子変異、できれば特別な薬が効く遺伝子変異が見つからないかと考えました。
その結果見つかったのが、MEF2D融合遺伝子(と名付けたもの)です。急性リンパ性白血病は、一度再発しても、約半分の患者さんを救命することができます。しかしながら、MEF2D融合遺伝子を持っている急性リンパ性白血病の患者さんは、4人見つけたのですが、その全員が1年以内に亡くなっていました。
その原因を調べるべく実験をしてみたところ、急性リンパ性白血病の治療に一番大事なステロイド薬が全く効かなくなっていることが分かりました。その代わりなのか、HDAC阻害薬というタイプの薬がよく効く可能性が分かりました。
ここまでわかったのが2016年のことで、その後も研究を進めていますが、HDAC阻害薬だけでは、MEF2D融合遺伝子を持つ急性リンパ性白血病を完治させることができないと分かりました。急性リンパ性白血病の治療法は国・地域によって若干違うのですが、この難しい白血病が比較的良く治療できている国もあるようです。さらに検討を進める必要があります。
もう一つ私たちが考えたのが、高性能な遺伝子解析を使って、がん細胞だけが持っている遺伝子の間違いを検出する仕組みを作れば、体のなかにほんのわずかに残っているがん細胞(微小残存病変)を見つけられる、ということでした。
普通に顕微鏡では見つけられない、100万個の正常な細胞の中に1個がん細胞がいるのを見つけられる仕組みができました。最初の3か月の治療が終わった時点でこの検査をして、まだ白血病細胞が残っている人(微小残存病変あり)は、5年後までに再発する可能性が50%近くあったのに対して、3ヶ月の時点でこの検査でがん細胞が見つからない人は、5年以内に再発する人はいませんでした。
再発する人を予想できるだけでは、再発を指をくわえて見ているだけです。再発する可能性が高い人に対して、普通より少し強い抗がん剤を使うなど、先に手を打つことで再発を予防できるか、という研究が必要です。
これまでの研究の積み重ねや、どんどん進歩する技術のおかげで、研究は、10年先や20年先の患者さんだけでなく、いま目の前にいる患者さんにも役立つことがある時代が来ていると考えます(個人の感想です)。
多くの人にとって、研究と聞いて頭に浮かぶものは、10年先、あるいは20年先の患者さんのために治療法を開発する、というイメージだと思います。実際、研究に時間はかかるわけだけですが、強力な研究方法が出現した結果、条件が整えば、研究が目の前の患者さんに役に立つ場合があります。
実際に、早ければ1か月で治療に役立つこともある、ということを、私たちは実際に経験しました。
5歳に満たない子の白血病を研究した時の経験です。白血病にも細かい分類がありますが、この子の白血病は分類不能(つまりよくわからない)、しかも普通の抗がん剤治療が全く効かなくて、治療の見通しは極めて暗い状況でした。
遺伝子解析で見つかったものは、驚きでした。この子の白血病細胞には、なぜか、大人の肺がんで時々見つかる遺伝子変異(ALK融合遺伝子)が見つかりました。
ALK融合遺伝子をもつがん細胞に特別に効く薬(ALK阻害薬)が、大人の肺がんに使うために開発されていました。試験管の中では、この患者さんの白血病細胞に、ALK阻害薬が決定的によく効きました。そこで、研究者と医者は協力して、実際にこの薬を用いて患者さんを治療しました。
その結果も、驚きと呼べるものでした。1か月もかからずに白血病細胞は検出できなくなり、その子はベストな状況で骨髄移植を受けて、3年以上再発なく経過することができました。
研究が目の前の患者さんの治療に役立った例でもあるし、1人の患者さんを調べるだけで病気の治療法までわかった例でもります。論文として発表したら、どうも世界中に同じ病気があるようで、続々と同じ治療法で治した報告がなされています。
がん研究、とりわけ遺伝子解析をする研究は、いろいろながんの原因を解明して、治療法を開発する上で非常に強力な方法です。
小児がんは非常にまれということもあって、成人のがんよりは研究が少し遅れているといえますが、小児がんを遺伝子解析する試みが、他国では寄付で推進されています。
アメリカでは、セントジュード小児研究病院が病院への寄付で、オーストラリアではガーバン研究所がライオンズクラブからの寄付で、どちらも大きな成果を上げています。実際のところ、急性リンパ性白血病の研究のかなりの部分について、セントジュード小児研究病院が大きな貢献をしています。
まずは、自分の所属する病院に訪れる年100人の小児がんの子どもについて、全員の遺伝子解析をする、というところから開始したいと思います。日本全体では年2000人が小児がんを発症しますので、その5%からスタートするということです。
応援してくれるひと、団体(deleteC、名古屋小児がん基金、リレーフォーライフ)がいます。もっとたくさんの応援してくれる人がいれば、もっとこのプロジェクトを推し進めることができます。
遺伝子を調べることで、小児がんの正しい診断と、それに基づくよい治療が可能になります。技術的な問題はクリアできています。
私の所属する病院は、日本で一番たくさん小児がんを診ている病院です。小児がん、あるいは他の小児の病気について、診療・研究ともにがんばって貢献しています。
様々な技術の進歩によって、遺伝子を調べる技術は大きく改善しました。がんの原因解明や治療法の開発は、遺伝子解析の貢献もあって、急速に進んでいます。そして、遺伝子解析は、将来の患者だけでなく、いま目の前にいる患者にも貢献します。